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エリアマーケティング 

地域性に対応のマーケティングを考える


 栃木県は関東地方の東北部に位置する海なしの内陸県である。1868(明治元年)年の廃藩置県で,真岡代官領地8万石を受け継ぎ「真岡県」としてスタートした。東は茨城県,西は群馬県,南は茨城,埼玉,群馬の3県,北は福島県に接する。面積は6,408k㎡(平成14年4月現在)で全国第20位。09年10月現在の人口2,009,70人,世帯数742,304世帯。
  
 平安時代、下毛野(しもつけぬ)国と那須国があった。7世紀後半、統一されて下野国となり、現在の栃木県の原型が作られました。徳川家康が江戸に幕府を開くようになると、天領や旗本領に細分化された大名や旗本が支配強調文しました。

  南の平野部を除けば大部分が山地で,内陸特有の寒暑の差が著しいという寒暖の激しい気候は,中国北部と似ている。北部から西部にかけての山岳地帯は日光国立公園に指定されており,日光,鬼怒川,川治,栗山,塩原,那須などの,温泉,高原,名所・旧跡,ゴルフ場など観光資源を豊富に持つ有数の観光県でもある。 

栃木県の地域区分

 県中央部は広大な平野が広がり、北部から西部にかけての那須連山、帝釈山地、足尾山地の山岳地帯と、中央部の那珂川、鬼怒川、渡良瀬川の沿岸平野部の3地域に大別される。

県民性
 下野国は中仙道が走り,上野国から新潟,長野を経て都と連なっていた。栃木県の歴史で特筆されるのは,足利尊氏が出たことである。抵抗の英雄として,いまも栃木県人に反骨の気概が受け継がれている。
 江戸時代,字都宮藩が6万石,あとは十の小藩に分かれ,さらに天領と日光山領が入り組むという統治体制であった。小藩制であったゆえにゆえにまとまりがなく,郷土意識は低いともいわれる。

 なお,気性の荒い北関東地域にあって,茨城や群馬のような際だった個性はみられず,穏やかな印象を持たれている。こうした中で,県民性として,強気と弱気,打算性と非合理性,反抗性と消極性,向こう見ずとだらしなさ,といった二律背反の性格の混在しているとも,いわれている。

 この事例としてソニー創業者の井深大氏,足尾鉱毒事件に立ち向かった田中正造氏があげられる。
 田中正造の生涯は,抵抗反発と正義愛好によって貫かれている。終始,理想主義に情熱を傾け,正義に殉じ,何回もの入牢や拷間に耐えながら足尾鉱毒という公害告発に一生を捧げ,酬いを求めず,不遇の中て死んでいった。田中正造の生涯は,この県の人に流れている抵抗と強気の典型であり,強い正義愛好の理想像ともいえよう。

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