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エリアマーケティング 

地域性に対応のマーケティングを考える
 東京電力福島第1原子力発電所で事故を起こした1~4号機が立地する福島県大熊(おおくま)町。現在,町全域が立ち入りが制限される警戒区域に指定された。町役場は約100キロ離れた会津若松市に移転し,約1万1500人の住民は全国各地で避難生活を送る。

 町には励ましの言葉に交じり,「今までいい思いをした罰(ばち)があたったんじゃないか」「恩恵を独り占めしていただろ」,といっ誹謗(ひぼう)・中傷も寄せられたという。

 事実,原発が町に「恩恵」をもたらしたことは否定できない。町の年間予算規模は70億~80億円だが,その6割以上を原発関連に依存している。このため,2009(平成21)年度決算では,収入に占める人件費など必要経費の割合を示す経常収支比率は68・3%である。全国平均が90%を超え,自由に資金を使えない自治体が多い中で,68.3%の大熊町は財政的に豊かな町であった。

 財政の余裕は,中学3年までの医療費の無料化や住宅団地の整備などに回された。また,雇用面でも就労可能人口の3割以上が東電やその協力会社に籍を置いた。取引関係や商店,その家族まで含めれば,大半が原発に頼る原発城下町であった。

 町の人口は,1号機が営業運転が稼働する前年の1970(昭和45)年当時と比較すると1・5倍に増加。若い世代にも「住みたい町」として支持されていた。

 大熊町では,原発ができる前は,もほそぼそと農業をやっていただけで,秋の収穫が終わると,東京方面に出稼ぎに行くしかなかった町だであった。福島は太平洋側から,浜通り,中通り,会津地方の3地域に分けられる。会津は江戸時代からの城下町で観光都市として,中通りは県庁所在地の福島市や,郡山市を抱え,行政・商業都市として発展してきたが,浜通りは,これといった産業はなかった。
 1957(昭和32)年に衆院議員から知事に転身した佐藤善一郎(ぜんいちろう)らは「均衡ある発展」を唱え,浜通りで数カ所の原発候補地を選定。本命とされたのが,大熊町周辺だった。それに呼応するように,1961(昭和36)年秋には大熊町と北側に隣接する双葉(ふたば)町の町議会がそれぞれ原発誘致を議決。町は県や東電に誘致を陳情した。


 東京五輪を翌年に控えた1961(昭和38)年夏,東京電力は福島原発建設に向けて国鉄(当時)常磐線大野駅前に,仮事務所を開設した。320万平方メートルの原発用地の買収は東電と県開発公社がそれぞれ分担。漁業補償交渉も進められたが,地元では「原発はたいへんな発展をする要素だ」という意識が強く,反対はなかったという。

 46年3月に原発1号機が営業運転を始めた。農閑期に出稼ぎに行っていた男たちは,町に進出してきた原発関連企業で職を得ることができ,レストランや喫茶店,バーなどの飲食店の開店が相次ぎ,住民は何らかのかたちで原発とかかわることになった。

▼住民の独白・・・
 いつ帰れるかわからない。こんなことで町を追い出されるんだったら,50年前のままの生活でもよかった・・・・。


⇒⇒YoTube 福島第一原発3号機爆発   Fukushima I Nuclear Power Plant Reactor 3 explosion
  http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=YsJT88jX2SA


⇒⇒YoTube 福島第一原発放水作業(3月18日)
  http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=gWzPU5fgThA



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