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エリアマーケティング 

地域性に対応のマーケティングを考える

上田市は、平成18年3月6日に上田市、丸子町、真田町、武石村が新設合併して誕生した、人口16万を擁する長野県東部の中核都市である。


人口 2013(平成25)年3月1日現在

世帯数人口総数男性女性
61,600158,07676,92381,153

真田氏の祖は東信農の古くからの豪族海野氏であったといわれている。1400(応永7)年の大塔(おうとう)合戦で、信濃守護の小笠原氏に対抗して、戦った東北信の連合諸将の中に、実田(さねだ・さなだ)氏の名がみえることから、室町時代中期頃には後の真田氏に通じる土豪がいたと思われる。現在の上田市真田町地域を本拠地として、中世から勢力を広げていた土豪である。

 江戸時代に書かれた歴史書『真武内伝』によれば、1541(天文10)年の武田・村上・諏訪三氏の連合軍と、東信の名族海野(うんの)氏との対戦の時、海野勢にあったのが真田幸隆(幸綱とも)とされる。遅くとも1549(天文18)年頃までには武田信玄に仕えることとなり、「信州先方(さきがた)衆」として武田勢の先兵または参謀として活躍した。
 幸隆の長男・信綱(のぶつな)、次男・昌輝(まさてる)は長篠の戦いで共に討死にした。そのため、三男・昌幸(まさゆき)が真田家を継ぎ、その子信之、信繁(幸村)らと共に、武田・上杉・北条・豊臣・徳川ら強豪の中で、時には従い、時には対峙し、遂には上田城を築いて東信濃随一の武将に成長した。
 昌幸と信繁(幸村)の父子は築城したばかりの上田城で、徳川方の大軍を2度にわたって撃退し、武門真田の名を天下に知らしめした。しかし、関ヶ原の戦いは徳川方の勝利に終わり、昌幸・信繁は高野山に幽閉させられます。昌幸はここで没し、信繁(幸村 1567~1615)は豊臣方に味方して大坂城に入り、1615(慶長20)年5月7日、大坂夏の陣にて討死した。なお,幸村という名は『難波戦記』など、後世の軍記物や講談本のみに書かれているもので、信繁死後の架空の名であろう。
 江戸時代に作成された『真田家系図』によれば、真田氏は清和源氏の発祥で、信濃国小県郡(現在の長野県東御市)の海野棟綱あるいは真田頼昌の子という真田幸綱(幸隆)が小県郡真田郷を領して以後、真田姓を名乗ったとある。
参考:「真田家の歴史」 http://www.sanadahoumotsukan.com/sanada/index.php


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給食で死ぬ!!―いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!--子どもを救った奇跡の食育

 本書『給食で死ぬ!!―いじめ・非行・暴力が給食を変えたらなくなり、優秀校になった長野・真田町の奇跡!!』は,給食の内容を変えることにより、いじめ、暴力の絶えなかった学校が2年でいじめゼロに変貌した長野県・上田市責田町にある中学校の奇跡の物語である。
 元中学校長の大塚責氏が「子供たちをよみがえらせる」という考えから、給食の内容を徹底的に研究。「非行、犯罪が絶えなかった学校」から約2年で「いじめ・校内暴力・不登校がゼロ」になり子供たちの学習意欲も高まり的5年で県内有数の進学校に変貌した。現在でもこの町ではここ10年、万引を含めて非行がゼロという。
 食と「現代の病」にはどのような関係があるのか、「子供たちをよみがえらせた給食の秘密」を明らかにし、家庭でも実践できる、子供の脳を活性化させる献立も公開している。
 
 なお,上田市真田(旧真田村)は,真田幸村で知られる真田家発祥の地である。


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第一章 荒れていた中学が「給食」と「花」で優秀校に変貌
第二章 「荒れた町」が「非行ゼロの町」に大変身
第三章 生活習慣病予備軍をなくし医療費を下げよ!
第四章 改善のカギは食べ物と教育環境にあった!?
第五章 「食と潤い」で企業も驚くほど変わる
第六章 まずは地元から学校給食を変える
第七章 「食」を変えることで知的障がい児が大幅改善
あとがき やむにやまれぬ思いを持った人間が世界を変える

⇒⇒YouTube ⇒「給食で死ぬ!!長野県真田町の奇跡」ダイジェスト
   http://youtu.be/1KYh3z7gYuQ





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