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エリアマーケティング 

地域性に対応のマーケティングを考える


 東京電力福島第1原子力発電所で事故を起こした1~4号機が立地する福島県大熊(おおくま)町。現在,町全域が立ち入りが制限される警戒区域に指定された。町役場は約100キロ離れた会津若松市に移転し,約1万1500人の住民は全国各地で避難生活を送る。


◆東京電力福島第1原発 事故発生時の政府の対応
 東日本大震災 での東京電力福島第1原発(福島県大熊町,双葉町)1号機の炉心溶融,そして爆発事故で放射性物質を周辺に拡散させた。強い衝撃にも耐え,最高基準の耐震 安全性を誇る非常用発電機の故障。「止める」「冷やす」「閉じ込める」という原子力施設の安全三原則は崩れた。炉心溶融は,炉心の水位が低下,燃料が露出 し,冷却されない燃料の一部が1200度以上に達して,燃料の被覆管が溶けたことによるという。

 この事態を,規制当局である経済産業省原子力安全・保安院(Nuclear and Industrial Safety Agency)は,爆発から数時間後にも状況を満足に説明できなかった。

 マグニチュード(M)9.0という巨大地震だったとはいえ,事態が悪化した後も安全回復の決め手が見つからないまま放射性物質は拡散し,双葉町などの住民計約8万人の避難に至った。

 枝野幸男官房長官は1号機の爆発について,2011年3月12日夜の記者会見で「炉心の水が足りなくなったことにより発生した水蒸気が格納容器の外側,建屋との間に出て水素となり酸素と合わさり爆発した」とし,「建屋の壁の崩壊で,格納容器が爆発したものではなく,外部の放射性物質は爆発前より爆発後の方がむしろ少ない」,さらに「(核燃料を封じ込める)原子炉格納容器の損傷は認められない」とし,爆発後も安全性が保たれていることを強調したが,著しく説得力を欠く説明であった。


◆原発立地の経緯と原発が地元に及ぼした光と影
 原発が町に「恩恵」をもたらしたことは否定できない。町の年間予算規模は70億~80億円だが,その6割以上を原発関連に依存している。このため,2009(平成21)年度決算では,収入に占める人件費など必要経費の割合を示す経常収支比率は68.3%である。全国平均が90%を超え,自由に資金を使えない自治体が多い中で,68.3%の大熊町は財政的に豊かな町であった。
 財政の余裕は,中学3年までの医療費の無料化や住宅団地の整備などに回された。また,雇用面でも就労可能人口の3割以上が東電やその協力会社に籍を置いた。取引関係や商店,その家族まで含めれば,大半が原発に頼る原発城下町であった。
 町の人口は,1号機が営業運転が稼働する前年の1970(昭和45)年当時と比較すると1・5倍に増加。若い世代にも「住みたい町」として支持されていた。

 大熊町では,原発ができる前は,もほそぼそと農業をやっていただけで,秋の収穫が終わると,東京方面に出稼ぎに行くしかなかった町だであった。福島は太平洋側から,浜通り,中通り,会津地方の3地域に分けられる。会津は江戸時代からの城下町で観光都市として,中通りは県庁所在地の福島市や,郡山市を抱え,行政・商業都市として発展してきたが,浜通りは,これといった産業はなかった。
 1957(昭和32)年に衆院議員から知事に転身した佐藤善一郎(ぜんいちろう)らは「均衡ある発展」を唱え,浜通りで数カ所の原発候補地を選定。本命とされたのが,大熊町周辺だった。それに呼応するように,1961(昭和36)年秋には大熊町と北側に隣接する双葉(ふたば)町の町議会がそれぞれ原発誘致を議決。町は県や東電に誘致を陳情した。

 東京五輪を翌年に控えた1961(昭和38)年夏,東京電力は福島原発建設に向けて国鉄(当時)常磐線大野駅前に,仮事務所を開設した。320万平方メートルの原発用地の買収は東電と県開発公社がそれぞれ分担。漁業補償交渉も進められたが,地元では「原発はたいへんな発展をする要素だ」という意識が強く,反対はなかったという。

 1971(昭和46)年3月に原発1号機が営業運転を始めた。農閑期に出稼ぎに行っていた男たちは,町に進出してきた原発関連企業で職を得ることができ,レストランや喫茶店,バーなどの飲食店の開店が相次ぎ,住民は何らかのかたちで原発とかかわることになった。




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郡山人口県内トップに いわき抜き、東北2番目

 郡山市の10月1日現在の人口は32万8236人で、いわき市の327,783人を453人上回り、県内市町村でトップである。東北では仙台市の1,069,434人に次いで2番目に人口の多い市である。

 郡山市は1965年8月の合併で現在の地域になった。2005年2月の33万9532人をピークに減少に展示,東日本大震災直前の2011年3月は33万8858人だった。

 震災後に下げ幅は大きくなったが、転入と転出の社会動態は2012年11月に増加に転じ、出生と死亡の自然動態を含めても今年4月で減少は底を打った。5月以降は増加を続けている。
 産業技術総合研究所の研究開発拠点の立地をはじめ、製造業や情報関連産業の企業進出が進み、工場増設に伴う雇用創出による従業員の転入が増えているのが,人口増の要因とみられる。

 いわき市は1966年10月の市制施行以来、人口で東北2位の座を保ってきた。しかし、1999年1月の36万2140人をピークに減少し、2011年3月には34万1453人と減少している。さらに震災が人口減に追い打ちを掛けた。
 なお,現在,郡山市には約8700人、いわき市には約2万3500人が避難している。

 

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