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◆樺太の戦い (1945年)
    出典:ウィキペディア

樺太の戦い(からふとのたたかい)は,太平洋戦争/大東亜戦争末期の1945年(昭和20年)8月11日から8月25日にかけ,日本の内地であった樺太南部で,日本とソビエト連邦の間で行われた戦闘である。

1945年8月9日に対日参戦したソ連は,8月11日に南樺太の占領作戦を開始した。その目的は南樺太の獲得と,次に予定された北海道侵攻の拠点確保だった。ソ連軍は北樺太から陸上侵攻する歩兵師団・歩兵旅団・戦車旅団各1個が攻撃の中心で,補助攻勢として北太平洋艦隊と歩兵旅団1個による上陸作戦が実施された。日本軍は,歩兵師団1個を中心に応戦し,国境地帯ではソ連軍の拘束に成功した。

8月15日に日本のポツダム宣言受諾が布告されて,太平洋戦争は停戦に向かったが,樺太を含めてソ連軍の侵攻は止まらず,自衛戦闘を命じられた日本軍との戦闘が続いた。ソ連は昭和20年8月8日,日ソ中立条約を破って日本に宣戦布告し,翌9日未明,満洲と朝鮮北部に侵攻した。
樺太での停戦は8月19日以降に徐々に進んだものの,ソ連軍の上陸作戦による戦線拡大もあった。8月23日頃までに日本軍の主要部隊との停戦が成立し,8月25日の大泊占領をもって樺太の戦いは終わった。

当時,南樺太には40万人以上の日本の民間人が居住しており,ソ連軍侵攻後に北海道方面への緊急疎開が行われた。自力脱出者を含めて10万人が島外避難に成功したが,避難船3隻がソ連軍に攻撃されて約1,700名が死亡した(三船殉難事件)。陸上でもソ連軍の無差別攻撃がしばしば行われ,約2,000人の民間人が死亡した。



知られざる本土決戦南樺太終戦史―日本領南樺太十七日間の戦争』は,かつて日本人が40万人暮らしていた南樺太で起きた熾烈(しれつ)な地上戦の全貌を克明に描いた戦史である。各地の戦闘の経緯はもとより住民の避難や惨劇,樺太脱出を記述している。

 日本軍は少数部隊で高い死傷率にもかかわらず,装備や人員で遥(はる)かにまさるソ連軍の進撃を阻止し,多数の民間人の避難を助けたことを著者は高く評価している。
 南樺太と北千島・占守(しゅむしゅ)島での日本軍の勇敢な戦いはスターリンの「北海道北半分占領」の野望を打ち砕くものだったと著者は解している。

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